1-49 嵐の前の静けさ
ルーシェの祭りは突然の大雨で中止になってしまったが、寝る前の頃には静かな夜に変わる。風呂から出たクロウは洗面所で歯磨きをして口をゆすごうとするが、井戸で汲んだ水を口に含んだ途端、鏡に向かって吐き出してしまう。嵐の仕業で酷い水に変わったかと慌てたが、一鏡に映るクロウの髪色と目色が一瞬だけ金色に変わったところを目撃し、別の動揺に変わる。
鏡をもう一度確かめると、クロウの髪色も目色も普段のままだった。
井戸で汲んだ水はもう、変な味はしていなかった。
いろいろツイていない日だということで異変を片付けたクロウは、誰もいないリビングを進む。普段ならクレアがリビングて家事をしているが、今のクレアは風邪を引いて寝込んでいる。照明(ソール)でリビングを照らしながら歩くクロウは心細く感じていた。
渡り廊下を歩くクロウは、クロウの家に1本だけある銀杏の木を嫌いだと呟く。クレアにとってロルとの大切な思い出の木だというのはクロウも知っていたが、なぜトルニカ島に1本だけあるのかは知らなかった。
クロウは玄関の前まで行き着くと、玄関近くにある休憩所に光を見た。クロウにとってその光景は、休憩所のソファーに座って一服するロルに見えた。クロウは慌てて休憩所まで行くが、ソファーに座っていたのはユシカとグラリアだった。クロウが見た光の正体は、ユシカが使う照明(ソール)だった。
疲れているクロウに、グラリアは温かいココアを差し出す。ココアの粉末はロルがくれたものだとクルトが聞いたとのこと。グラリアはクロウがココアの香りを感じて、ロルが恋しくなったのかもしれないと言った。
1-50 本音と、本当に知ってほしかったこと
グラリアは、クロウに嬉しそうに話しかける。ユシカがグラリアのために、探検に向かう計画をしているとのこと。
まさかと思ったクロウは、ユシカを見る。中身が暗号化されていようと、ユシカがノートに書いているのは、やはり探検に関することだった。
ユシカは、勝手に探検に向かうことそのものは反省しているが、それでもグラリアを放っておけないという。だからと言ってとクロウが言い返そうとしたところで、ユシカは自分の言葉を重ねる。
「記憶がなくても楽しくやってけるわ。でも、自分の中から何が抜けてしまったのかわからない。それはとても怖いことだと、アタシは知ってるわ」
「そのまま平和に過ごしてけば、自分が知りたいと思うことがわからなくなる。だって、平和に過ごすことが抜けてることへの穴埋めになってしまうから。
浸れば浸るほど、知ろうと思うことができなくなるのも知ってるわ」
ユシカの手にあるノートには、何度か零した涙の痕があった。
「あぶないことをするのはわかってる。記憶がないのは怖いことだというのを理由にしても、守護団セフィルは納得してくれないこともわかってる。でもこの問題は、本人にとって苦しいことだって覚えてる」
「グラリアの力になりたい。グラリアの力になることが、今のアタシにできることなの。グラリアを知って、グラリアの居場所を守りたい。だから……」
ついにクロウは、声を荒げる。
「いい加減にしてくれよ」
「ユシカの思いも、グラリアの気持ちも、悪いとは思わない。けど、もっと周りのことを考えてくれよ」
幼馴染のユシカでさえ驚く態度で、クロウはユシカとグラリアに本音をぶつける。
「祠の遺跡で事件が起きるまでは、ユシカだけじゃなく俺だって、それが危ないことだとちゃんと認識していなかった。
事件後、ルーシェ誕生祭が中止になった。結局のところ日を改めて開催されたけど、あの事件はそれほどの事態だったってことがまだわからないのか?」
ユシカはでも、と呟くが、今度はクロウが「でも、じゃない!!!」と自身の言葉を重ねる。
クロウはユシカに、ユシカのことは本当の家族だと思っているし、本当の家族になってほしいから、自分は本気で怒っていると言った。
無事に帰ってきた2回目の探検のことは、クロウ自らクレアに申告したという。そのときクレアは「何で私たちの思いを無視して、危険な真似ばかりするの!」とクロウの頬を強く打った。そのとき打たれた頬の方をさするクロウは、クレアに「ユシカにも、俺に対してやったことと同じことをしてください」「あいつは、俺たちの家族でしょう」と言った。そして、クレアの声に気付いて部屋の外で様子を伺っていたクルトには「お前も、ユシカが本当の家族なら、無断で探検に行くことに協力せず、本気で怒れよ」と言った。クロウの言葉を聞いたクレアの目は泳ぎ、クルトは俯いたという。
クロウは、何も言い返せないユシカに、ユシカに知ってほしいことを伝えると言った。当時のクレアは、クロウの頬を打った直後クロウに抱き付いた。無事でよかった、生きていてよかった……といった言葉を、泣きながら何度も言っていた。守護団セフィルが祠の遺跡の調査に向かうときにクレアが同行したのは、元々祠の遺跡で調査していた団員らが何者かの襲撃により負傷していたからだ。敵は武器に毒を盛っていた。まるで、誰かを捕えることを重きに置いた武器だった。だから薬用医学の知識があるクレアが必要になった。事前に聞いた症状を解毒するため、事前に薬を作ってきていた。それでも予期せぬ症状があればすぐに対応できるようにするため、守護団セフィルとの同行を決めた。もしそんな事態のときに、祠の遺跡にいた不届きな者たちによって家族が殺されていたらと思うと、クレアには耐え難く苦しいことだ。
これ以上、周りの気持ちを無駄にできないと言ったクロウは、ユシカに背を向けて立ち去る。ユシカが声を振り絞ってクロウを呼ぶと、クロウは止まってくれたが、背中を向けたまま真っ直ぐな言葉を向ける。
「……事件後、ユシカはしばらく目覚めなかった。
あのときのことが、俺には忘れられなくて。ユシカとはルーシェでまた一緒に笑うことができたけど、またユシカが同じ状態になったら……」
「ユシカが目覚めなかったらどうしよう。ずっと目覚めないかもしれない。
一緒に祠の遺跡を探検したのに、ユシカのそばに俺がついていたのに、俺は何もできなかった。怖くて、悲しくて、悔しくて……どうすることも、できなかった」
クロウは、部屋でユシカが目覚めたばかりのときに感じたことも話す。
「ユシカがようやく目を覚ましても、俺は喜べなかった。
右手を差し出し、泣きながら、何度も何度も、助けて……と言う幼なじみを見たんだ」
「今だって怖いんだよ。ユシカの右手が回復した理由がはっきりしない以上、また同じ症状が出るかもしれないと思うと……。
俺だって……ユシカに、グラリアに、家族に、周りの人たちに、不安な表情を見せないように努力してきたんだ。でも、今は、もう」
この場にいることに耐えられなくなったクロウは、走って自室に戻る。
クロウの気持ちを、家族の気持ちを知ったユシカは「……心配をかけて、ごめんなさい」と、涙を落とすように言う。
1-51 少女が運命に立ち向かうために
ラグナルド家にいる者たちが寝静まる頃、青い衣を纏う者は黄金の木に留まって家を眺めていた。フードを外すと、黄金の木のように輝かしい髪が揺れる。
そこに、紫色の光がやってくる。青い衣を纏う者は、紫色の光から話を伺うと、返事を伝えて送り返す。
少々強引な手に出ると言った青い衣を纏う者は、ラグナルド家ではないある方向へと手を差し出し、時計のシンボルを描き出す。
その方向の先には、ルタの家があった。ルタの家には誰もいなかったが、時計のシンボルが時間を巻き戻すと、指定の領域だけ時間が戻っていくように、シンボルが消えた頃には外出前のルタの姿があった。
その頃、ちょうどラグナルド家からグラリアが出るのを見る。誰にも見つかっていないだろうと周りを警戒していたが、黄金の木の方を見ると酷く驚いていた。
青い衣を纏う者は、まさかひとりでルーシェ村を離れて逃げようと考えていたのかとグラリアに問う。グラリアは嘘をつかずに頷いた。
グラリアは、私はここにいてはいけないと言った。青い衣を纏う者は、グラリアにそこまで決意させたのは誰かを問う。
「君が立ち向かうべき運命なら、まだ残されている。真実を知らないまま無責任な言葉に従い、運命から逃げるな」
グラリアは、ルタの家を目指す。
1-52
ルーシェ誕生祭のあと、ルタは緊急の任務を対応した。
守護団セフィルから、井戸で組んだ水を飲んだ住民たちが不調を訴えているという報せがあった。嵐により井戸水に汚水が入ったのかと思えば、以前から貯めていた水に異常が生じたとのことだ。
住民たちの症状を診たあと薬を処方し、一旦は様子見だが、ルタとしてはこの対応だけで終わりにしたくなかった。
ルタは、空になった試験管を見る。試験管の中には、僅かに青い液体が入っている。
試験管の先には、昔に使っていたある機械があった。窓のような画面には「エラー」という一言だけが表示されていた。
ルタは、機械を起動するためのパスワードを忘れてしまった、と呟く。確かこの前、保健室の本のどこかに、シザール文字でメモしたはずだった。
不調を訴えた住民らの対応を終えたあと、ルタはセフィル本部へと向かったが、そのとき扉越しにガルフとシークスの会話を盗み聞いてしまう。
「……禁書はグラリアだ。禁書の罪は、祠の遺跡で見つけた手配書を把握しておきながら、グラリアを野放しにした私にある」
「人が禁書……? 団長、笑えない冗談はやめてください」
「笑えない事態が、現に目の前に差し迫っているんだ。私が……俺が、この手でグラリアを」
「団長。僕は、あなたが禁書を燃やす方を選ぶなら、あなたの代わりに僕が禁書を燃やします。あなたが国に調査を依頼する方を選ぶなら、あなたが罪人となったとしても僕たちがこの村を守ります」
「俺の代わりに禁書、グラリアを燃やすだと?」
「ええ。災厄に見舞われたときのルーシェのように、英雄になってみせます」
ルタは、ガルフとシークスの会話を思い返したあと、短剣を装備し、部屋の奥にある隠し扉を潜る。
隠し扉を潜ったあとも、シークスが言った「災厄に見舞われたときのルーシェのように、英雄になってみせます」という言葉が、ルタの脳裏に残響する。ルタは、どこか懐かしい言葉を呟いた。
「私は、英雄じゃない。英雄じゃない私の事を、シークスは忘れないで」
1-53
グラリアはルタの家を尋ねる。真っ暗闇な家の中には誰の気配もなかった、
グラリアが家の中に入ると、ルタの部屋に置かれた機会が警告音を出す。グラリアの意識がそちら向くと、窓のような画面にあるメッセージが映し出される。
「私は、死を遂げた彼女のことを英雄と讃えたくない」
「私にできるかな。
……弱音は駄目だ。これ以上優しさを無下にできない。
私は貴女を忘れない。だから、墓地へ赴き花を供えさせて。
いや、まずは綺麗な花にしないと。何も解決していないこの地は、水が汚いままだ」
「セフィル。私は貴女が思うほど強くない。貴女以上に、勝手な人だよ」
窓のような画面のメッセージが途絶えたあと、グラリアは部屋の中から吹く風に意識を向ける。
ルタの家の中には隠し扉があった。グラリアは恐る恐る扉を潜るが、思わぬ足場に足を滑らせ、悲鳴をあげて落下してしまう。
グラリアがいなくなったあと、窓のような画面に弾丸のシンボルが映り込む。
窓のような画面から話し声が聞こえたあと、画面にあるメッセージが綴られた。
「〔 術〕専用手紙: タの 験 につい
ひとまず安 。僕がそ らに行く 。
の島での 作業は一時 にして。
そういえ 、ちゃ と鍵は覚えた な。僕が居な っても、今 こそ忘れないよ に 。
あと君 、伝 ないと けないこ が」
このメッセージは、RGE114年、6年前に送信されていた。
1-54
暗闇を長く歩き続けたグラリアは、途中で光を見つけたため、光がある方向を進む。
光に近付くにつれ、激しく流れる水の音が聞こえる。出口に近付いたところで、激しく流れる水の正体を知る。
祠の洞窟にある大きな滝が見えた。しかしユシカたちと探検に来たときと違って、グラリアは滝の裏にいた。
滝のちょうど裏には、細く続く妙な道があった。グラリアが滝裏の細い道を進んでいくと、不自然な扉と出くわす。
グラリアが扉に触れると、ガチャっとした音が鳴る。保健室の扉で聞いた時と似た音だった。
恐る恐る扉を開けると、岩に囲まれた小さな空間があった。そこには寝袋とボロボロの机が置かれていて、妙な生活感がある。
小さな空間の突き当たりには、今まで見てきた扉と比べて何よりも頑丈そうな扉がある。見るからに人を寄せ付けない扉であろうと、グラリアは興味深そうに近付く。
「そこまでだ」
小さな空間の入口に立つルタは、グラリアに短剣を向ける。グラリアが振り返ると、頑丈そうな扉の何かがカツンと音を鳴らす。
まさかと思ったルタは、グラリアの手を無理やり引っ張って扉から引き剥がす。グラリアは動揺し抵抗しようとしていたが、ルタに短剣を突きつけられ動きを止める。
グラリアは泣きながらルタに訴えた。
「私をこの島に置かせてください」
「記憶も何もない空っぽな私が、大切な人たちと一緒にいられる方法を教えてください」
グラリアの言葉を聞いたルタは、短剣を落としてグラリアを抱きしめる。
「私だって知りたいよ。その方法を、私と一緒に探してくれるか?」
1-55
ルタはグラリアを連れて祠の洞窟を出る。ルタの家の隠し扉の方に戻るのではなく、別の道を進んだ。
ルタは何をしていたのかというと、独断で水質調査を行なっていたという。水質調査を行なう前には、滝裏の小さな空間にあった禁書になりうるものを燃やしてきたという。その紙はもう燃えて存在しないからと、ルタはその内容だけグラリアに言っていいかと聞く。グラリアはこくりと頷いた。
「私に初めて空を見せてくれた貴方のように、貴方に綺麗な地上を見せたい。
元気になった貴方との再会を、楽しみにしている」
その言葉を告げたルタは、ふいに涙を溢す。ルタは、涙が出てしまったことを変だと言った。
誰に向けた言葉なのかは覚えているはずなのに、このメッセージに込められた相手への想いは覚えていなかった。
その相手について、グラリアは勇気を出して尋ねる。「その人は……セフィルですか?」
ルタはひどく驚いていた。しかしそのあと穏やかな微笑みを浮かべながら「違うよ」と答える。
しかし、セフィルとルタが思い浮かべる相手は、深く関連していた。
「傷付いたセフィルを見つけた私は、セフィルを介抱したんだ」
「不法侵入中のセフィルを長居させるのは危険で、その危険を理解しているセフィルもすぐに立とうとしていた。けれど、彼女のお腹には子どもがいて、動けなくなってしまった」
「私と同居していた例のお相手は、自分は医者だと言って、出産までの対応をしたよ。……まだ医者になる前だったのにね。立派なペテン師だ」
続けてルタはルーシェで出会ったセフィルのことを話す。
「まるで、出会ったときと変わらない様子で、ルーシェでセフィルと再会したんだ。「私の最期は、私の息子の最初を迎えさせてくれたあなたに見届けてもらいたい。それって素敵だと思わない?」なんて言ってね。……私にはきっと、微塵も素敵ではなかったはず」
ルタは俯く。とても苦しそうで、悲しそうだ。
「この島は、いろんな力と、いろんな思惑がぶつかり合っている。もしこの島にいて、何か不可解な現象があっても……今の私たちには、解き明かせない」
「それでも、いずれ姿を現す大きな真実が、平和を滅ぼしてしまう前に……私たちが向き合わなければならないことがある」
グラリアとルタは長い洞穴の道を抜けると、そこには怪しげな木々が並んでいた。
ルタはグラリアに、手を差し出す。
「私の努力と、私の罪を……君は、忘れないでいてくれるか?」