1-59
翌朝になると、再び雨が降っていた。
ユシカはひとり、ラグナルド家の玄関の休憩所にいた。窓の外の景色を眺めていた。
ユシカは、水が入ったグラスを手に取る。そのまま口に含むかと思いきや、拒絶し、テーブルに戻す。
「井戸の水が一番綺麗」。誰も覚えていないはずの言葉をじっと噛み締めていた。
井戸の水が綺麗なのは、リ・グラス独自の仕組みにより浄化されているからだ。けれどもその仕組みの正体を、ユシカは知らない。
ユシカはもう一度、グラスを手に取る。何も知らないものをただ与えられていくだけのこの世界は、ユシカにとってひどくつまらないだけなのだろうか。
「いい加減にしてくれよ」。クロウから言われた言葉を思い出し、ユシカは自分の心を押し殺すようにグラスの水を飲み干した。
水を飲み干してグラスをテーブルに置いたあと、ユシカは頭を抱えて思い悩む。
「この島で目覚めても、教えてもらっても、何もできなかった」
「教えてもらうからダメなんだ」
「自分で知ろうとしなきゃ」
「自分でなんとかしなきゃ」
「じゃないと、アタシは、何もできなくなってしまう」
ユシカの心に、クロウに言われた言葉の数々が反響する。
家族になって平和に過ごしてほしいとクロウが願っているのに、ユシカの中には未だ探検に思い焦がれる自分がいる。
誰も知らないことに憧れる、祠の遺跡で未知のものに触れる……そうして見つけたものが煌めくものでなくとも、ユシカにとってはお宝だ。もしお宝を見つけたら、何もできなかった彼女自身を認められるのではないだろうか。そう信じて探検を続けてきた。
それは、幼いままの子が抱く好奇心、遊びである反面――答に焦がれ、自分を探す旅だった。
席を立ったユシカは、何かに惹かれるように、渡り廊下まで出る。
今はまだ時期でない黄金の木が、輝いて見えた。そう、そこには黄金の髪と目を持つ青い衣を纏う者がいたからだ。
ユシカは青い衣を纏う者の姿に見惚れていた。同時に、涙まで流す。
青い衣を纏う者は「誰を思い浮かべている?」と問う。ユシカは「わからない」と答えた。
青い衣を纏う者は「何故君は、知ることを求める?」と問う。ユシカは勇気を出して「何かを知ろうとしないまま、何もできない自分になるのが怖かった」と答えた。
青い衣を纏う者は、ユシカに手を差し出す。
「君が求める〔お宝(自分にできること)〕は、私のお宝を残酷な運命から救い出してくれるか?」
ユシカは、青い衣を纏う者の振る舞いに誰かを思い浮かべ、泣きそうに頷いた。
地面に降りた青い衣を纏う者の手を取ると、ユシカの足がふわっと浮いた。
1-60
トルニカ島の船着場に、見慣れない船が着いていた。
警備の兵士らが見守る中、白衣を着た男が降りてくる。その男は雨の中だろうと構わず、トルニカ島の船着場で出迎える守護団セフィルの者たちと対面する。
白衣姿の男を見たシークスは「何故軍服ではなく、ロルさんやルタと同じ格好を?」と戸惑う。ガルフはシークスに「余計な隙を見せるな」と釘を刺す。
ガルフは男に挨拶もなく「トルニカ島に生きる人々は、誰一人、ルドヴァイア国の法律に違反していない」と毅然とした態度で答える。
男は余裕ある笑みを浮かべながら「つまり、禁書は全て燃やしたということでしょうか?」と尋ねる。ガルフはそうだと答えた。
男はガルフに、燃やした禁書についてガルフに説明責任を果たしてもらうため、まずは村に案内してもらいたいと言う。ガルフは不安を押し殺しながらも村まで案内しようとしたところ、突如やってきたルタが道を阻んだ。
ルタはわざわざ守護団セフィルの衣装を着て現れた。男はルタを「元上司の前だろうと、平然と遅刻するようになりましたか」と嘲笑い、彼女を《ルタ・ランフォック》とフルネームで呼ぶ。
ルタは、《ルタ・ランフォック》という名前が嫌いだ。その名前のせいで散々な目にあってきた。男はガルフに、ルタは昔の部下だったことや、この島のプロジェクトでは世話になったことや、当時は部下の代わりに始末書を対応していたため謝罪に出向けなかったことを、今のガルフにも一部心当たりがあることを話した。
続けて男は、トルニカ島を見渡しながら、何かを知るように言う。
「良風が吹き、澄んだ空気に満ち、その中で人々が平穏に暮らす……。自然と迎える終わりの時に亡くなる人は、海へと帰す」
「この島地は、海にしか帰せない環境ではないというのに」
ルタは「やめて」と小さく、それでも強く言う。ガルフはルタを庇うように「昔話よりも先に、優先すべきことがあるだろう」と男に言い、シークスはルタを庇うようにルタの前に立つ。
そうだったと笑う男は、ルタを無視して歩き出す。彼がルタの後方まで行ったところで、ルタは大きな声で「待ってください!」と叫ぶ。
男は振り返り、男と向き合ったルタは「禁書の説明責任は私が承ります。不備があれば、部下を指導するようにご指摘ください、ジェイス・ルバートさん」と淡々とした態度で答える。
1-61
ルタは、ガルフとシークスとルドヴァイア国の従順者らを連れて、お化けの森まで来る。
封鎖された村の門を開けると、ガルフとシークスですらその光景に驚く。ふたりが滅んだ村を覚えていなかったことにルタは安堵していた。
ルタはジェイスに、ルタが燃やした禁書について説明する。
「私は、この村で水害を起こしました。村で暮らしていた者は、ひとり残らず亡くなりました」
「水害が発覚する前に、私は村を封鎖しました。
私は村の外で彼らが死にゆく様を記録し、誰も居なくなった頃にこの村の中に記録を残していました」
ルタはジェイスに、このプロジェクトを覚えているかと尋ねる。
ジェイスは、何かが引っ掛かる様子だった。当時のプロジェクトの内容とも、事前に聞いていた禁書とも違った。
ジェイスはルタに、禁書はどこだと尋ねると、ルタは井戸の中を見せる。
「何を記録していたのかは、貴方も概ねわかるでしょう。それに貴方なら、記録媒体にルドヴァイア国の認可証明がなかったことだってわかるはず」
勝負を挑むようなルタに、ジェイスは皮肉げな笑みを見せて答える。
「信憑性が無いな。だが、我々の力に掛かれば、燃やされた禁書でも中身の検証は可能だ」
そのとき、思いがけない事態が起きる。
ルタのところに、思いがけない人物が駆け寄り、しがみついてくる。
「どうしてグラリアを燃やしたんですか!!!」
「だれが何と言おうと、グラリアは禁書じゃない! アタシの大切な友だちを奪わないで!」
1-62
これは偶然のすれ違いか、仕組まれたすれ違いかはまだわからない。
青い衣を纏う者は、ユシカを連れて浮遊しながら移動した。ユシカは、青い衣を纏う者にとってのお宝とはグラリアのことかと尋ねる。
青い衣を纏う者は、今彼女はその名前で呼ばれているのかと微笑んだ。だが、今はまだグラリアの別の名前を答えてはくれなかった。
「彼女は、ルドヴァイア国にとって不都合な存在だ。けれども君が本当に、彼女を救い出してくれるなら……いずれ教えてあげるよ」
ユシカは青い衣を纏う者に「グラリアは禁書なの?」と問う。
青い衣を纏う者は「意図的に隠さずに、答えていいだろうか?」と確認する。
ユシカは覚悟して頷くと、青い衣を纏う者は「彼女は禁書だ。何故ならば、ルドヴァイア国にとって不都合な存在だからだ」と答えた。
青い衣を纏う者の情報を聞くと、グラリアは昨夜ひとりでルタの元を訪ねたが、それ以降ラグナルド家に戻っていないという。ならどうやってグラリアを捜せばいいのかと問うと、青い衣を纏う者は上空から下を見るようにとユシカに言う。
トルニカ島の船着場には、歪なものが構えていた。そして、船着場を目指して走る人影が、ルタの姿があった。
船着場での会話と、村ではない方向に行く様子を、ユシカと青い衣を纏う者は観察していた。目標がお化けの森と呼ばれる場所に入ったところで、青い衣を纏う者はお化けの森の入口に着く。
「ここから先の選択肢は、君に委ねられている」
ユシカは青い衣を纏う者と別れて、ルタとガルフとシークス、そしてルドヴァイア国の従順者らを追った。青い衣を纏う者は、さて、と呟き、大艦の方を目指す。
「強引な手段を取っても、運命に乗り遅れるよりはマシだ」